「想い」の温度差

以前の記事で書いた結婚式のことで少し問題が起こったので、書き留めてみようと思う。

 

結婚式のサプライズ企画で、なにやら色々やらかしてやろうか!
と、実に心温かいメンバー達と集まり話し合っていた時、メンバーの1人が

 

「ごめん、当日どうしても抜けられない仕事ができちゃった、ホントごめん…。」

 

と、実に申し訳なさそうな感じで言ってきた。

 

 

まぁ 仕事入っちゃったんなら仕方ないよな、と私は思ったのだが、
違うメンバーの1人が許さなかった。

 

「は?仕事??ありえないんだけど。お前招待状とか何か月も前に来たよな?
普通予定空けるために仕事は調整したり、休み申請しとくもんじゃないの?
結婚式に招待してくれた2人の気持ちなんだと思ってんの?
マジで、ありえないわ、信じらんない。」

 

「いや、悪いと思ってるし、俺だって行きたかったよ。でも仕方ねーじゃん。
…え?俺が悪いとかそういう話になんの?ふざけんなよ!」

 

とまあ、こんな感じの醜い展開になってしまったのだが、「普通」ならどんな対応をするのが正解なのだろうか。

 

私は「仕事なら仕方ない」と思ってしまうのだが、それは間違いなのだろうか?

 

私はよく「お前の性格はひねくれてる」と言われるので、残念ながらあてにできない(´;ω;`)

 

仕事なら許せる?
仕事なら許せない?

 

正解なんて、あってないようなものだと思うのだが違うのだろうか?

 

結婚式なんて、確かに一生に一度あるかどうかという一大イベントである。
そう思ったら、もう何が何でも、それは何を犠牲にしてでも祝ってやる!みたいな感情が私の中にはある。

 

しかし、同時に一生に一度だとしても、「当たり前の日々を犠牲にしてまで」と言われると、少しブレーキをかけたくなる。

 

仕事をして、お金をもらって、明日からの生活ができる。

 

そう考えたら、「仕事」が理由じゃなく、「明日からの生活」とも言い換えられる。

 

冒頭の台詞の「仕事」の部分を「明日からの生活」と言い換えられたら、
許せなかったメンバーも、「じゃあ仕方ないか」とはならないのだろうか。

 

「正解はあってないようなものだ」

 

私は以前までにも何回か「震災」の話を記事に混ぜていると思うのだが、今回もちょっと震災の話を例にしてみようと思う。

 

 

 

 

例題タイトル「いくつもの命」

 

――○○月○○日、大規模な地震が発生した。

 

大きな揺れが私たちを襲った、私のいた会社も大きく揺れ、棚が倒れ、机が弾み、たくさんの社員の悲鳴が聞こえた。

揺れが収まった後、停電してしまった暗い部屋で、私は静かに起き上がる。
しばらくしたら、停電も直ったようで、部屋が電気で明るくなる。

急いでテレビのニュース番組をつけた。
すると、私たちのいる地域に津波警報が出されたことが発表されていた。

 

「自分には子供がいる。」

 

 

子供のいる幼稚園も津波警告の範囲に入っていた。
そもそも、今の地震で被害が出ている可能性もある。
急いで迎えに行かなければならない!

すぐさま会社を出たその時、見知らぬ女性に裾を引っ張られた。

 

「子供が瓦礫の下敷きになってしまったんです!お願いです、力を貸してくれませんか!?」

 

頭の中でいろんな感情が一瞬で走り抜ける。

 

助けなければ…!
いや、私の子供が…。
いや、見捨てるわけには…!
でも、時間が…。
何が正解だ…?
どれが正解だ…?
私は何をすればいい…。

 

目の前には藁にもすがる思いで、私の腕を取ってきた女性。
必死な形相で、涙で顔が醜いほどになってしまっている。

 

私の行動で決まる未来は4つ。

◎「目の前の子供を助けて、自分の子供も助けられるのか」
〇「目の前の子供を助けて、自分の子供を見捨てるべきか」
△「目の前の子供を見捨てて、自分の子供を助けるべきか」
×「目の前の子供も助けられず、自分の子も助けられないのか」

 

両方助けられたら、一番幸せだ。

 

でも、目の前の子を助けて、それで自分の子が死んでしまったら…。

 

目の前の子を見捨てて、自分たちが助かったとして、それからの未来は楽しく過ごせるのか?

 

いや、きっとできない、いつまでもこの女性の顔が頭から離れなくなると思う。

 

そもそもどちらも助からなかったら…、絶望しかない。

 

――おしまい。

 

 

 

 

はい、震災をテーマに話をする時に、よく聞く話です。

 

そして、必ず最後に問われます。

 

「あなたならどの選択肢を選びますか?」

 

私が話を聞いた時に参加していた人では、

「目の前の子を見捨てて、自分の子を助ける」が一番多かったと思います。

 

誰もが自分の家族を優先して守りたくなるのは自然といえば自然です。

 

私はひねくれものなので

 

「どちらも助ける希望を捨てない」という甘い考えで、

 

「目の前の子を助けて、その子の家族に自分の家族も助けてくれるよう頼む」という回答をしましたが(;’∀’)

 

私が震災の話をよく持ってくる理由は「正解がない話」だからです。

 

「見捨てて、助ける」も、「助けて、助けられなかった」も、どちらも正解とは言い難い結末です。

 

でも、それが残念ながら一番現実的な回答なんです。

 

 

 

 

また、冒頭に話を戻しましょうか(;・∀・)行ったり来たりごめーんね

 

結婚式いけなくなった人も、行きたいけど行けなかった人なんです。

 

悪い気持ちを持った上で、「ごめん」と言ってきたのです。

 

なにも「悪い気持ちにするために断った」わけではないのです。

 

それを許せなかったメンバーは「そんな答えはない!」
と憤りを見せました。

 

仕事が理由で行けないなんて、正解じゃないだろう、と。

 

でも、本当は正解なんてないでしょう?

 

 

みんなで目一杯祝ってやろうぜ!
と言っていたはずなのに、その気持ちだけが確かなものだったのに、

 

私たちの気持ちはどこにいってしまったのでしょう?

 

でも、私は確信しています。

 

 

「このメンバーの中に悪い奴はいない」
そう信じて、臨もうじゃないか、だってそれしかないでしょう?